DATE 2008.12. 6 NO .



「あなたの本当の名前、聞かせてくれませんか?」

 まだ幼さの残る声で、少年は彼に問い掛けてくる。

「……私に名乗る資格はない」

 少年の両親と名を初めて知った時の感情は、今も、彼の心に深く刻まれている。
 血の繋がりというものがこれほどあたたかなものであったのかと、
 幸せとは、たったそれだけのことからも見出せるのかと。

 弟はどんな想いで息子にこの名を与えたのだろうか、と。
 少年の名前が自分のかつてのそれにちなんでいると、弟の口から聞いたわけでもないというのに。

「あなたもカインさんみたいな事を言うんですね」

「……」

 少し前を歩く竜騎士の背を見やり、声をひそめて少年はそう返した。

「名は疾うに捨てた、の一点張りで」

 悪戯っぽく囁く少年とは反対に、彼の心は冷たく沈む。

 あぁ、そうだろうな。
 それも、私の罪だ。

「だから最初は『知らない人』でしたけど……名前を聞いてからは、ずっと前から傍で見守っていてくれた人のように思えます」

「それは……何故だ?」

 彼は、ようやく少年の方を見やる。

「僕はずっと、父さんと母さんからカインさんの話を聞いて育ちましたから。あぁ、この人が『カインさん』なんだ、って思ったら、もうあの人は僕の中で大きな大きな存在になっていたんです」

 少年は、笑顔を浮かべてそう言った。

「――あなたも、ですよ?」

 彼には、眩しいほどだった。

「父さんの知る限りのあなたの事を聞いて、僕は育ちました。……名前は、結局父さんの口から聞く事は出来なかったけれど」

 あぁ、そうだろうな。
 彼は二度目の昏い肯定を心の中で返す。

「セシルが言わなかったのなら……私からお前に話すわけにはいかない」

 少年は、一瞬、きょとんとした表情を見せ、
 それから、また笑った。

「それは困ったな……他の方達もそう仰るから、あなたにまでそう言われたら僕には知る術がなくなるじゃないですか」

 くるくると、よく変わる。
 遠い昔に眺めていた、弟の小さな顔のように。

「父さんが、もしも会う事があったなら、名前は直接聞きなさいって言っていたのに」


『男の子の名前で――神様からの贈り物』
『一番の、宝物だから』


 その時彼の脳裏をよぎったのは、幼い自分に名前の由来を語り聞かせる母の姿だった。

「そう、か……」

 彼はようやく、そう答える。

 それだけで許しを得たなどとは思わない。
 思っては、ならない。

「いつか教えて下さいね」

 そう言ってまた彼に笑いかけた少年は、

「伯父上――」

 一言、残して前を歩く竜騎士のところへと駆けて行った。



 カインさんカインさん、と少年の明るい声が届く。
 精一杯、明るく振る舞おうと努めているのだろう。

 弟は、まだ、何かと闘い苦しんでいる。
 その想いを聞く事は――叶わない。







≪あとがき≫
 セオドアと謎男さんの話としてしばらく転がっていたネタが、いつの間にか兄さんに……ところで、兄さんの表示名はいつ変わるんでしょうか。
 セシルが目覚めるまでの間、セオドアにちょっとずつ淵から引き上げてもらってればいいな。





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